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2008 08,03 17:51 |
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Where does this ocean go?
sec:4 風 第三音素の意識集合体が思った以上におとなげなかった。 他意はないです。おんなのこじゃないのは…趣味ですとしか。 皇帝に呼ばれて彼が仰せつかった任務で、あれ以来初めて、あの屋敷に入った。 不自然に解かれた結界。ずっと嫌な予感がしている。 彼は乱暴に、あの日と同じ扉を開け放って―― Where does this ocean go? sec:4 風 三日間続く祭りも、今日で終わりだ。 そして、今日もピオニーのところに顔を出してから、あの妙に苦しい格好をしなければならない、のだろう。 (女の人って、すごい…) 死んだ魚のような目をしたレガートが、ピオニーへの取次ぎを馴染みの見張りの兵に頼むと、彼は同情の色をその顔に浮かべた。 「お前、完璧に陛下のおもちゃだよな…」 「…はは。代わってくれませんか」 「それは断る」 「…ですよね」 彼は慰めるようにレガートの肩をたたいた。 「いいじゃないか。お前剣の才能だってあるし、出世の機会だと思えよ」 「ならその才能を生かせる仕事につきたいですよ…」 レガートの仕事はブウサギの世話が五割だ。 口を尖らせるレガートに、しかし見張りの彼は肩をすくめた。 「レガート、お前わかってないな」 「…何がです?」 「なにもかもだ」 そういった先輩の兵士の表情は、思ったよりも真剣だった。 レガートは内心首をかしげながらも、相手が陛下に取次ぎを始めてしまったので、それ以上何も言うことも出来ない。 無駄としか思えない大きさの扉が開くとき、先輩兵士は小さな声で言った。 「お前は、もっと自覚を持ったほうがいい」 「自覚?」 問い返したが、彼はそれきり黙ってしまった。 レガートが妙な顔をしたまま、ピオニーの前まで出ると、ピオニーもまた、珍しく真面目な顔をしていた。 隣にいるジェイドの雰囲気も、こころなしかぴりぴりしている。 「レガート」 「はい」 「お前、体は何ともないのか?」 「ないですけど…」 何の話をしてるんだ、とジェイドに視線で問うと、彼は眉間に皺を寄せた。 「ふむ。自覚症状はなし、ですか」 ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げ、赤い瞳を真っ直ぐにレガートに向けた。 「ルーク。あなた、私があげた剣は、ちゃんといつも携帯していますか?」 「ああ、してるけど…じゃなくて、しています。ごめんなさい」 ジェイドのきつい視線を受けて、レガートは慌てて言い直した。 彼は案外こういうところに厳しいたちで、レガートは今までに何度も注意を受けていた。 「あれでも抑え切れなかったか。…或いは他の原因でしょうか。まあ、危ない橋は渡らないのが最善だと思いますよ、陛下」 「つまらんな」 「つまらないもなにも、どうしようもないでしょう」 ジェイドが呆れたように言うと、ピオニーは、つまらんものはつまらん、と、子供のように唇を尖らせた。 「というわけでレガート、今日は女装はしなくて結構です。良かったですね」 にこり、とジェイドが笑って言った。レガートはしばらくその意味を理解できず、ぽかんとして育て親の顔を見つめていた。 やがて脳にまでその理解が達したとき、レガートの心に生まれたものは、圧倒的な不審の念だった。 「…なんで?」 「おや? 嬉しくないんですか?」 「いや、そりゃ嬉しいけど…」 もごもごと答えながら、横目でちらり、とピオニーの様子を窺う。機嫌はあまりよろしくないようだ。 先ほどの会話を聞いただけなら、ジェイドがピオニーを説得してくれたようにも思える。しかしそれにしては、空気が不穏すぎる。 「ああ、そうそう。警備任務につかないのですから、今日は一日大人しく、家で座学でもしていなさい」 「…うげぇ」 ジェイドはいつもの読めない笑顔で、いつもより多めに課題を出した。 レガートが不穏な空気も忘れて、いささかげんなりした様子で謁見の間を出て行くのを見送り、ジェイドはピオニーのほうに向き直った。 「では、引き続き観測を続けます」 「ああ。悪いな、祭りの日にまで」 ピオニーの言葉に、ジェイドは肩をすくめた。 「ま、自分の蒔いたタネですからね。自分で刈り取りますよ」 「無理に刈らんでもいいぞ、とは、流石に言えんが。…あいつは大丈夫なのか?」 「さて。そればっかりは何とも」 ピオニーは厳しい表情のまま、黙り込んだ。 「これ、ほんとに終わんのかよ…」 ジェイドが様々な意味で知識の足りないレガートに日々課す宿題のお陰で、彼の知識量はこの一年ほどで飛躍的に増えた。 机の前に座ってお勉強、というのが嫌いなレガートにとっては、生かさず殺さず方式の教育に近いのだが、しなかったらしなかったで恐ろしい目に遭うことが経験上わかっているために、今も大人しく勉強机に向かってひたすら読み、書き、まとめ、そしてまた読み、をくりかえしている。 いつもならそろそろ一つ目か二つ目の峠を越えて、終わりまでの目途がつきそうな頃合なのだが、今回は全く終わりが見えない。 課題の量が多いのもあるが、それ以上に、二日前に会った男の事が気になって仕方ないのだ。 昨日は結局、見回りを口実に、一日中彼を探し回っていたレガートである。 「聞きたいことあんのにさ…」 「うん? 何だ?」 「そりゃーお前は誰だとか、あの『彼』って誰なんだとか…ってうわっ?!」 いきなり背後に立っていた影に、レガートは慌てて振り向く。 「おま、どっからはいった?! この家はジェイドが特別な結界譜術をかけて、識別票のないやつは中に入れないようになってんのに」 「そりゃ、最初から居たに決まってる。俺に普通の譜術はきかないからな」 からからと笑う男は、今日も二日前と同じ、黒い仮面に黒い衣装だ。どう見たって不審人物だった。 なのに何故か、レガートは、ともすれば自分が警戒心を解きそうになっていることに気付いた。 「まあ、そんなにぴりぴりするなよ。とって喰ったりはしない…というよりかは、とって喰われてるの、俺だし」 「はあ?」 「この格好がまずいのかな。お前が何よりも強く意識する人間の姿を模してみたんだが」 男は言いながら、白い手袋をした手で、す、と仮面を外した。 その下にあったのは、はたして、レガートの――ルークの幼馴染と、とてもよく似た相貌だった。 砂色の金髪、青い瞳、人好きのする精悍な笑顔。だが、幼馴染のそれにくらべて、どこか人形めいた不自然さがある。 「…よりによって、ガイなのか」 「うん?」 当然といえば当然の帰結なのかもしれない。けれど不思議に、昔、本人と対峙したときのような震えは襲ってこなかった。 人形のような表情が、かえって彼らしくなかったせいもあるのかもしれない。 「…お前は誰だ?」 レガートはごく自然にそう聞いた。答えはもう知っていた。 「第三音素の意識集合体、シルフだ。お前が雪山で呼び出したものだよ」 「俺の身体の中にいるんじゃなかったのか? 俺はそう説明されたけど」 「今も本体は中にいるよ。私はただの影だ、君の眼にだけ映る」 いいながら、シルフは、レガートの顔を覗き込んだ。シルフの青い目に、自分の姿が映りこむのを見て、レガートは眉を寄せた。 「…よくわかんねえけど、何でいま俺に姿を見せてんだ? 俺に何か用があるのか?」 「あるとも。君ときちんと契約をしようと思って」 「へっ?」 男はすっと距離をとった。 「君があの雪山に近づいたとき、というより、あの雪山にあるフォンスロットに近づいたとき、ローレライが君にコンタクトを取ろうとしたのは覚えているだろう?」 「ローレライ…?」 「いつも君はあれの声を聞いていた筈だ」 その言葉で、レガートははっとした。 「そうか、あの頭痛と一緒に聞こえた声…」 「ローレライはあの時、少し焦ったらしくてね。君がああいうところに近づくというのは、滅多にないことだったから」 「はあ」 たしかに、自分は生まれてからはずっとバチカルの屋敷にいたし、屋敷から出た後は、ほとんどずっとグランコクマのジェイドの屋敷にいたのだった。 外に出かけるということ自体が、極端に少ない生活をしていたのだ。 「あの時彼は君にあるものを渡そうとして、失敗した。覚えているかい?」 レガートは首をひねり、それから否定した。そうか、とシルフが頷く。 「君の存在は預言にない。だから、世界の運命を知るはずのローレライにも、君が次にどういう行動を取るか、を知ることはできなかった」 「…え」 いつの間にか男の口調は、がらりと変わっていた。その中で、レガートはふと、彼の言葉に引っかかりを感じる。 「そのせいだろうね。彼の力と君の力は暴走し、世界の理を一時的に歪め――何故か私が、地上に引き摺り下ろされてしまったと言うわけだ」 「ちょっと待ってくれ、シルフ」 構わず先を続けようとするシルフの言葉に、慌てて割って入ると、彼は特に気にした様子もなく、何だ、と尋ねてきた。 「俺の存在が預言にないって言うのは、どういうことだ?」 声が震えていたのは仕方がなかっただろう。 この世界は預言を中心に回っている。そのなかに存在がないと言うのは、つまり世界に存在しないも同義だ。 第三音その意識集合体は、まるで人間のように、目を瞬かせた。そして少し意外そうに言う。 「おや、知らなかったのか。フォミクリーの生みの親であるジェイド・バルフォアに育てられておきながら」 シルフはあっさりと、その忌まわしい理由を口にした。 「君はレプリカだろう。レプリカの存在は、預言にない。だから世界の誰も、君自身の行動による運命を知ることは出来ない」 いっそ無感情とも言える声が、かえってレガートにとってはありがたかったのかもしれない。 レガートは、自分が驚くほどに、レプリカという存在についてほとんど何も知らないことを、今更ながら思い知った。 衝撃を受けているレガートには構わず、シルフは続ける。 「私がここにいるのも、本来ならありえない、イレギュラーな事態だ」 「…そっか。悪いな」 レガートの謝罪に、シルフは別にいいも悪いもない、と無感動に返した。 「ただ、こんな中途半端な状態でいると、お前にとっても、無論私にとっても良くない」 不穏な響きに、レガートは眉を寄せた。 「どういうことだ?」 「私は君の中に入っていると先ほど言ったが、それはあまり正しくない。正確には、不正な音素の絡まりに縛られているに過ぎない」 「じゃあ、それを解けばいいのか?」 シルフは、そんなに簡単なものではない、と言って、腕を組んだ。 「無理に解けば、周りのものの多くの音素バランスを崩壊させることになる。無論君も死ぬし、私も無事ではすまない。そこで、契約をしたい」 「…契約?」 「そう、契約だ。ユリア・ジュエが昔ローレライとそうしたように、君にも音素集合体である私と契約をする資格がある。契約さえすれば、不正な音素にとらわれている必要もない」 レガートは、創世期の人物であるユリアの名前をさらっと出されて、流石にぎょっとした。 あまりの規模の壮大さに、何の想像もつかず、具体的には何をすればいいんだ、と尋ねる。第三音素の意識集合体は至極簡潔に答えた。 「君の本当の名前と、私の名を交換するんだ。後は私とローレライで何とかする」 本来ならばもう少し複雑な手順が必要なんだが、とぶつぶつ呟くシルフに、レガートは、でもお前もう俺の名前知ってるだろ、と肩をすくめた。 「俺の名前って、レガート・ミルテだぞ? 本当のって言われても、それしかないし、だいいちお前だってこないだそう呼んでただろ」 シルフは、レガート・ミルテ、と呟き、検分するようにしばし瞑目したが、すぐにまた目蓋を上げた。 「…やはり、その名前だけでは駄目だな」 「何でだよ」 レガートが口を尖らせると、シルフは、お前はその名前を、本当に自分の名前だとは思っていないだろう、といって、レガートの顔を覗き込んだ。 「君の名前は、他に何かあるはずだ」 「俺はレガートって名前が俺の名前だって思ってるし、他にはない」 即座に反論したレガートだが、シルフはさらにそれを否定する。 「思っていれば、契約はいつだって可能だ。だがそうではないから、私がここにこうしている」 意見は見事なまでに平行線を辿った。 ない、あるはずだ、ない、だからあるのだ、と、しばらく言い合いを続けた後に、先にレガートが折れた。 「…結局何が言いたいんだ」 シルフは組んだ腕を外して、そっとレガートの肩に触れた。重みも温度もないそれは、不思議な感触で、レガートは初めてこの青年が、実体ではないことを意識した。 「だから、私は事実を言っているだけだ。どっちみち、君の名前がわからないことには、契約は出来ない」 「ローレライから聞いてないのかよ」 思いついて尋ねてみる。が、シルフは頷きはしたものの、 「聞いていても意味がない。君の口から聞かなければ、契約は不可能だ。譜術の詠唱と同じで、声に出され、音となることに意味がある」 そういったきり黙ってしまう。レガートは俯いて、言い訳のように、そのほかの名前は持ってない、と答えるしかなかった。 だがシルフは譲らなかった。肩に触れたままだった右手を、すっとレガートの胸の中心まで滑らせる。 とん、と人差し指でそこを軽く叩いて、彼は言った。 「持っているはずだ。君の養い親が、君を呼ぶ名があるだろう」 「あれは俺の名前じゃない。俺のオリジナルの名前だ」 青年の腕を振り払い、レガートは距離をとる。シルフは気にした様子もなく、青い瞳に感情の揺れは見えない。 苛々して、うろたえているのが自分だけのような気がしてきて、レガートは次第にみじめな気持ちになった。 シルフは幼馴染と同じ顔、同じ声で、淡々と告げた。 「君の名前は、君が決める。君はその名を、レガートという名よりも、自然に感じているだろう」 人外のものの見透かすような言葉が、レガートの胸に刺さる。 「そりゃ、最初からずっと、そう呼ばれてたからな…」 「君の名前は、君のものだ。…君の、最初の名前は?」 しぶといシルフに、レガートはとうとう観念した。 「…ルーク。ルーク・フォン・ファブレ」 シルフはようやく口元を緩めた。 だがその表情はやはりどこか人形めいていて、幼馴染の笑顔とは似ても似つかない。 「これで君の名前がふたつとも揃った」 シルフは満足そうに言った。 「私の名前はシルフ。口に出してみろ」 「…シルフ」 「ルーク・フォン・ファブレ、レガート・ミルテ、二つの名を持つお前に、私の力を貸し与える。…受け入れる、と」 「受け入れる」 確かにそう発音したつもりだったのが、全く違う声となって、レガートの口から放たれた。 その瞬間、レガートとシルフを中心として、見たこともない大規模な譜陣が現れた。音素が揺れ、風が巻き起こり、机の上の本のページを自分勝手に捲っていく。 うすあおく輝くそれは、次第に収束しながらシルフの身体を包み込むと、そのままレガートの中へと吸い込まれていった。 あまりの眩しさに目を閉じる。しばらくすると風がやみ、気付くとレガートは一人で部屋に残されていた。 先ほどまでの出来事が、夢とも現実ともわからず、ぼうっとなっていた彼の頭は、しかし次の瞬間、突如鳴り響いた轟音に覚醒させられる。 音の源は部屋の扉で、乱暴に壁に叩きつけられたのだと、その惨状から容易に知れた。 そうして飛び込んできたその犯人は、先ほどまで部屋にいた音素の意識集合体と、瓜二つの顔をした男だった。 PR |
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